辰吉丈一郎が3月8日にタイでのノンタイトル戦に負けたという記事を新聞で見た。38才の辰吉が、まだ現役を続けている。タイに渡ったこと、昨年一度戦って勝ったことは知っていたが、3度世界を獲った男が老体にむち打ってノンタイトルを戦い続けている。
僕は、子どものころからスポーツ、特に格闘技のテレビ観戦が大好きだった。相撲・キックボクシング・ローラーゲーム・・・、そんな中でもボクシングは最高!、世界タイトル戦の中継日は、学校でも勉強そっちのけで試合の流れの予想をしていた。
ボクシングの記憶は小学校低学年から始まるのだが、小林弘、西城正三に始まり、輪島功一やガッツ石松など個性的な選手が活躍する日本ボクシング界の黄金時代と僕の小中学校時代がピッタリ重なる感じだ。中でも大場政夫は特別中の特別、もう好きを通り越していた。世界チャンピオンのまま交通事故で死んでしまった大場。そのニュースを知ったときの衝撃は今もハッキリ覚えている。あれから36年が過ぎた今でも、ボクシング史上最高のチャンピオンは大場だと思っている。
高校でテレビの無い下宿生活を送ったことが影響してか、また強く個性的な選手がいなくなってしまったからか、その後しばらく僕を夢中にさせるボクサーは出てこなかった。でも、一人だけ大人になった僕が好きになったボクサーがいる。それが辰吉丈一郎だ。
辰吉は本当に天才だ(だった?)と思う。パンチ力、スピード、ウイット、また努力することにおいても、卓越した才能を持っている選手だ。しかし、辰吉は同時にボクシング選手として有ってはならないハンデも持ち合わせてしまっていた。
辰吉は3度世界チャンピオンになっている(2度返り咲いている)のだが、その1度目の段階で、既に左目に支障をきたしていた。2度目の王座になった直後には、それが網膜剥離であるとハッキリ診断を下されている。「網膜剥離」はボクサーにとっては致命傷、当時の規定では「即引退」。
しかし、そこは興行ビジネス。あまりの人気もあってか、紆余曲折を経て現役を続けることになる。そして、その後も負けて勝ってを繰り返し、3度チャンピオンになって、デビュー戦から20年目を迎える今も、体に爆弾を抱えながら異国で現役を続けている。
では、辰吉は何故38才の今も現役を続けているのだろう? これだけの名声を得た選手で有りながら何故?
答えは、1994年の薬師寺保栄との世界統一選にあると思う。
日本中(いや世界中)が辰吉の勝利を疑わなかったこの試合であったが、結果は判定で薬師寺。体調その他色々な要因があったのだろうが、この試合の薬師寺は強かった。ベストと言える試合だったと記憶している。
この試合の後、辰吉の引退を予想した芸能界から強烈なラブコールがあった。赤井英和が成功するのであれば辰吉はそれ以上、石松や輪島とはそもそもセンスが違う。まして若者たちにはカリスマ的な人気者。
しかし辰吉は、コメディアンのような使われ方を頑なに拒否、結局現役続行となり、2年後に3度目の世界王座を掴む。
さらにその後防衛3戦目で破れ、その再戦でも負けた29才の辰吉。誰の目から見ても、今度こそ芸能界デビューは確実に写った。もちろん破格の待遇が用意されていたはずだ。僕も、目の悪化が見て取れたし、ここまで続けていたことが驚異的であったので、芸能界という新たなステージに進む方が彼の才能を生かす上で相応しいだろうと思っていた。
しかし、辰吉は結局完全には引退しなかった。ボクシング協会からの再三の引退勧告も無視して、ブランクを開けながら、今もボクシングを続けている。
今回のタイでの試合の記事を読んでいて、ある試合を思い出した。
今から39年前、あの小林と西城が世界チャンピオン同士で戦ったノンタイトル戦があった。当時10才の僕は、なぜ階級の違う世界チャンピオン同士が戦うのか(この試合でのウェイトはもちろん合わせていたはずだが)?、これはあくまでも調整でエキジビション的な試合だと予想をしていた。だが実際は、全くの真剣勝負、プライドのぶつかった好試合だったと記憶している。結果はウェイトが上の小林が勝利。
その後、二人はほぼ同時に防衛に失敗するのだが、その後の進路は全く異なった。小林は後進の指導に当たるが、西城はあろう事かキックボクシングに転身、確か20戦程試合を行ったと思う。
西城は小林の影を追いかけていた・・・。
世界王者を5度も防衛した偉大な選手ではあっても、「小林に負けた西城」といわれる屈辱。でも、もう一度戦いたい小林は既に引退している。当時キックへ行った西城を僕は理解できなかったが、この暴挙の理由も今はわかる気がする。小林戦の呪縛。
世界を3度獲った辰吉も、薬師寺に負けた辰吉と呼ばれることの屈辱感から逃れることができないのではないか。早々に引退し、テレビやVシネマでそこそこ活躍している薬師寺。その姿を見るたびに、その噂を聞くたびに、そして日本人同士だけに、天才としてのプライドが許さない。
もし辰吉がもう一度薬師寺と対戦できていれば、その試合に勝っても負けても辰吉は引退の道を選んだのではないだろうか。勝てばプライドを満たすことができ、負ければ自分の才能の無さを得心できた。
日経の報道によると、タイ側にといっては辰吉は金のなる木、今後もマッチが組まれる予定だという。
コラッ! 辰吉丈一郎!
愛すべき大バカやろう。君には、もう何を言っても無駄なのだろうな。
でも、あえて言わせてもらう。
君は強かった、それはみんなが知っている。
無理はするなよ。
23才で天に昇った史上最高のチャンピオン大場政夫と、38才で現役天才辰吉丈一郎。
ボクシングは切ない。
僕は、子どものころからスポーツ、特に格闘技のテレビ観戦が大好きだった。相撲・キックボクシング・ローラーゲーム・・・、そんな中でもボクシングは最高!、世界タイトル戦の中継日は、学校でも勉強そっちのけで試合の流れの予想をしていた。
ボクシングの記憶は小学校低学年から始まるのだが、小林弘、西城正三に始まり、輪島功一やガッツ石松など個性的な選手が活躍する日本ボクシング界の黄金時代と僕の小中学校時代がピッタリ重なる感じだ。中でも大場政夫は特別中の特別、もう好きを通り越していた。世界チャンピオンのまま交通事故で死んでしまった大場。そのニュースを知ったときの衝撃は今もハッキリ覚えている。あれから36年が過ぎた今でも、ボクシング史上最高のチャンピオンは大場だと思っている。
高校でテレビの無い下宿生活を送ったことが影響してか、また強く個性的な選手がいなくなってしまったからか、その後しばらく僕を夢中にさせるボクサーは出てこなかった。でも、一人だけ大人になった僕が好きになったボクサーがいる。それが辰吉丈一郎だ。
辰吉は本当に天才だ(だった?)と思う。パンチ力、スピード、ウイット、また努力することにおいても、卓越した才能を持っている選手だ。しかし、辰吉は同時にボクシング選手として有ってはならないハンデも持ち合わせてしまっていた。
辰吉は3度世界チャンピオンになっている(2度返り咲いている)のだが、その1度目の段階で、既に左目に支障をきたしていた。2度目の王座になった直後には、それが網膜剥離であるとハッキリ診断を下されている。「網膜剥離」はボクサーにとっては致命傷、当時の規定では「即引退」。
しかし、そこは興行ビジネス。あまりの人気もあってか、紆余曲折を経て現役を続けることになる。そして、その後も負けて勝ってを繰り返し、3度チャンピオンになって、デビュー戦から20年目を迎える今も、体に爆弾を抱えながら異国で現役を続けている。
では、辰吉は何故38才の今も現役を続けているのだろう? これだけの名声を得た選手で有りながら何故?
答えは、1994年の薬師寺保栄との世界統一選にあると思う。
日本中(いや世界中)が辰吉の勝利を疑わなかったこの試合であったが、結果は判定で薬師寺。体調その他色々な要因があったのだろうが、この試合の薬師寺は強かった。ベストと言える試合だったと記憶している。
この試合の後、辰吉の引退を予想した芸能界から強烈なラブコールがあった。赤井英和が成功するのであれば辰吉はそれ以上、石松や輪島とはそもそもセンスが違う。まして若者たちにはカリスマ的な人気者。
しかし辰吉は、コメディアンのような使われ方を頑なに拒否、結局現役続行となり、2年後に3度目の世界王座を掴む。
さらにその後防衛3戦目で破れ、その再戦でも負けた29才の辰吉。誰の目から見ても、今度こそ芸能界デビューは確実に写った。もちろん破格の待遇が用意されていたはずだ。僕も、目の悪化が見て取れたし、ここまで続けていたことが驚異的であったので、芸能界という新たなステージに進む方が彼の才能を生かす上で相応しいだろうと思っていた。
しかし、辰吉は結局完全には引退しなかった。ボクシング協会からの再三の引退勧告も無視して、ブランクを開けながら、今もボクシングを続けている。
今回のタイでの試合の記事を読んでいて、ある試合を思い出した。
今から39年前、あの小林と西城が世界チャンピオン同士で戦ったノンタイトル戦があった。当時10才の僕は、なぜ階級の違う世界チャンピオン同士が戦うのか(この試合でのウェイトはもちろん合わせていたはずだが)?、これはあくまでも調整でエキジビション的な試合だと予想をしていた。だが実際は、全くの真剣勝負、プライドのぶつかった好試合だったと記憶している。結果はウェイトが上の小林が勝利。
その後、二人はほぼ同時に防衛に失敗するのだが、その後の進路は全く異なった。小林は後進の指導に当たるが、西城はあろう事かキックボクシングに転身、確か20戦程試合を行ったと思う。
西城は小林の影を追いかけていた・・・。
世界王者を5度も防衛した偉大な選手ではあっても、「小林に負けた西城」といわれる屈辱。でも、もう一度戦いたい小林は既に引退している。当時キックへ行った西城を僕は理解できなかったが、この暴挙の理由も今はわかる気がする。小林戦の呪縛。
世界を3度獲った辰吉も、薬師寺に負けた辰吉と呼ばれることの屈辱感から逃れることができないのではないか。早々に引退し、テレビやVシネマでそこそこ活躍している薬師寺。その姿を見るたびに、その噂を聞くたびに、そして日本人同士だけに、天才としてのプライドが許さない。
もし辰吉がもう一度薬師寺と対戦できていれば、その試合に勝っても負けても辰吉は引退の道を選んだのではないだろうか。勝てばプライドを満たすことができ、負ければ自分の才能の無さを得心できた。
日経の報道によると、タイ側にといっては辰吉は金のなる木、今後もマッチが組まれる予定だという。
コラッ! 辰吉丈一郎!
愛すべき大バカやろう。君には、もう何を言っても無駄なのだろうな。
でも、あえて言わせてもらう。
君は強かった、それはみんなが知っている。
無理はするなよ。
23才で天に昇った史上最高のチャンピオン大場政夫と、38才で現役天才辰吉丈一郎。
ボクシングは切ない。